【空に咲くひとひらの花】:連載第2回 壊れる前に

これまでのお話:【空に咲くひとひらの花】:連載第1回 姉の死
 
 
断片的に覚えている他のことは、親戚のおじさんから姉の顔を見るように言われても見れなかったこと、火葬場で待っている時間が恐ろしく長かったこと、青い空にまっすぐ煙が立ち上っていたこと、白い骨が悲しいほど細かったこと(姉は華奢な体格でした)があります。
crematory
実家に何日か滞在したのか、すぐに東京に帰ったのか覚えておりません。

ずっと考えていたのは、一体うちの両親はなぜこんなに自分の子供で苦労しなければならないのか、ということです。

割に優等生で両親に逆らうこともなく、順調に育ちやっと結婚し、肩の荷が下りた矢先の姉の自死。

片やせっかく入った大学もなんの断りもなしに中退し、実家にも寄りつかず、正業についていない弟。

エリート役人としてやっていた父、愛情深く献身的に父に仕え家事を切り盛りしていた母。何不自由なく育ててもらいました。

我々が生まれる前も生まれてからも一身に頑張ってきたのだと思います。
何も問題ないどころか間違いなく誇れる両親だと思います。(当時このことを本当に理解していたかどうか怪しいですが)にも関わらず、この事態。

一体両親は何をしたというのでしょうか。
 
 
姉の遺書はあったそうですが、私は今でも目を通してません。だけど原因はうっすら思いつきます。

あの時周囲の人たちを襲った悲しみはとてつもなく、それだけにしばらくは姉を恨んでいました。どんな理由があるせよ決して許されない行為だと。卑怯ではないかと。

お袋はそういった恨み言は一切口にしませんでした。両親ともにあの時期どうやって支え合っていたのか。

菩提を弔っていただいたご住職のお話(非常にお世話になったそうです)を拠り所にしたり、写経をしていた話は聞きましたが、姉弟の私より当たり前の話ですが積み重なった思いの量はずっとずっと多いはずです。

十年ほどたってから実家に帰省した際お袋から聞いた話、

「死んだ直後のことはほとんど覚えていないけど、しばらくしてからお姉さんの幽霊をみた。はっきりと。
服の柄まで思い出せる。でね、あの子がいうの ”お母さん、ごめんね。わたしもう生きられないの”  その声も覚えている。
やっぱりあの子が言う通りあれは寿命だったのよ。生きる力があそこまでしかなかったの」

どういう時間を過ごせばこういう風に思えるのでしょうか。それとも本当にこう思ったのでしょうか。

いずれにしてもお葬式から東京に帰って以降、

「このままじゃダメだ。何とか変わらないと両親が壊れてしまう」と本当に真剣に思いました。

でもなにをどうすれば変われるのか皆目見当もつきませんでした。

 
 
つづき:第3回 自分改造
 

wriiten by  鳴海集一 Shuichi Narumi

 

~鳴海様が抱えていらっしゃる発達障害について(ご本人談)~
 
< 学習面>
・読み書きが稚拙。テストの設問の意図が理解できない。(誤字脱字が極端に多い)
・算数が苦手。特に計算、暗算は致命的に出来ない。
・教科によるテストの点数のばらつきが極端。

< 運動面>
・方向感覚、空間認識能力に障害がある。よってフィールドでプレイするスポーツは全滅(特に球技)
・自分の体の位置が頭で理解できないため器械体操系も全滅。
・歩き方、走り方がどこかおかしい。

< 生活面>
・集団行動が苦手。空気を読まない突飛な行動をとることがある。
・提出物を出さない。学校からのお知らせを親に渡さない(忘れる)
・じっとしてない。集中力がなく飽きっぽいため長く机にいることが苦手。
・手先が不器用(字が汚い、定規を使ってまっすぐ線が引けない、折り紙が折れない等々)

< コミュニケーション面>
・相手の会話の意図が分からずとんちんかんな返答をしてしまう。
・思ったままを口にするので相手の怒りを買うが、なぜ怒っているのか理解できず落ち込む。
・おしゃべりではあるが人の話を聞くのは苦手。
 
 
父の仕事の都合で転校が多かったのですが、行く先々の学校で問題児扱いされていたそうです。(成人してから母親から聞きました) 
実際学校が変わっても都度通信簿には「落ち着きがない」「人の気持ちが分からない」と判で押したように書かれていました。

ただ私自身は当時周囲に迷惑をかけているとか、自分が何等かおかしいとか、そういった自覚は全くありませんでした。
しかしながら受け入れてくれないもどかしさに腹を立てたりとかは、頻繁にしていたようで、ここら辺の記憶はあります。
 
 
今書き連ねてもうんざりしますが、当時の自己評価は著しく低くかなり長い間コンプレックスとして人格に暗い影を落としました。

こみや様がblogのはじめに発達障害者の日常の理解の仕方として
”もし私たちがインフルエンザなどで普段にない高熱が出たとき”等を上げられていましたが、当時はそのような理解は周囲にはなく集団からの排除や蔑みがほとんどだったと思います。

今現在なんとか社会生活を送れているのは、周囲の方の「お陰」と長年の自己訓練によるものです。

自己訓練は本質的な問題は解決しませんが、カバーする程度の役割は果たしてくれました。

あとはやはり運だと思います。その運には心から感謝しますが、それでも人並にある程度色んなことができたらいいなあという思いはずっとあります。
加齢によって衝動的な部分は多少収まりましたが、障害の根っこは変わっていません。



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