子どもの将来について心配なこと:非行や事件事故に巻き込まれることについて-Ⅰ

色々とお子さんについて心配になると思います。

具体的には、いずれ暴力をふるう側になったり、逆の側になって、事件や事故に巻き込まれないか、といった心配だと思います。

私ももちろん、子を持つ母として同じです
(T T)。

ただ、一つ、この判断基準があって本当に良かったと思うのは、自身の経験です。

最近、我が子と同じようにお子さんの年齢が上がり、お悩みがこのようなものにシフトしてきた方も増えてきたので、今回は、私自身の経験を踏まえ、少しお話したいと思います。

どうしたらよいか、については年齢や置かれているご状況に応じて変わってくると思いますので、あくまでもそのバックグラウンドにある要因や気持ちを知る手掛かりの一つとしてお読みいただければ幸いです。

たばこについて

私は20歳になるかならないかの頃から吸い始めたと記憶しています(妊娠を機にやめています)。

当時は昭和のバブリーな時代。
私の父や祖父母も含め、皆がたばこを仕事中にも普通に吸っていた時代で、アルバイト先で知り合った職場の人に勧められるままに吸い始めたのがきっかけです。

それであっても、同級生で吸っている人はそんなに多くはなかったので、置かれた環境、というのはとても大きい要因の一つだと思います。




あくまでも自身の経験上ではありますが、そして今の時代、様相も変わったとは思いますが、長男トビさんの話からも、様々な国や事情の人が働く環境…たとえば色々な店舗が入っている施設での共同の社員食堂を利用したりする際に、あるいは現場作業を行う職種では、行った現場で知り合った方たちと、というような場面で吸うきっかけが生まれることが多いようです。

一度吸い始めてしまうと、なかなかやめられないのも事実です。
中毒になるというよりも、吸う仲間同士の妙な連帯感というのが生まれ、やめる理由がみつからなくなっていくのです。

もし今お子さんが吸っていらっしゃるのだとしたら
「たばこを吸っていること」
自体が、今、お子さんが置かれている環境において、お子さんの居場所を作るツールになっているということだと思います。

そういう場では何らかの孤独感だったり、家族に対してわかってもらえていないという気持ちを吐露し合うことも多く、共感しあうことでさらにその思いを強くしてしまうこともあります。
(逆もあります。改めて親のありがたみを感じることもあったりします。)

気持ちを聞かずにいきなり一方的に叱ったり、禁止したりしてしまうと、よけいに心を閉ざしたり、反抗したり、家によりつかなくなってしまうという逆ベクトルに行ってしまう可能性もあります。

最近では、電子たばこでCBD(カンナビジオール)を吸引することが、むしろ統合失調症や神経疾患、情動障害などにも効果があるという研究も世界で進んでいるようです。

発達障害の症状にも効果がありそうだということ、中高生であっても濃度により使用できる可能性があることから、子どもの発達研究所の活動の一環として、これから情報を収集し発信していきたいと思っていますが、吸うならこっちがいいらしいよ、という話ができるようになるといいですね。

車・バイクに乗ることについて

私がバイクに興味を持ったのはとても単純な理由で、初恋の男の子がバイク好きだったからです。

高校卒業後、中型自動二輪免許を取得し、当時よく一緒に遊んでいた友人(女性)を後ろに乗せ、お台場から浦安にかけての東京湾岸エリアを夜な夜な走りに行っていました。

まだできて間もないディズニーランドホテルが林立している”とあるコーナー”で、ある男の子グループに声をかけられます。

そりゃそうですよね、深夜に女の子二人だけがバイクでぶらぶらしているわけですから・・・。

その男の子たちは、のちに「走り屋」とよばれるチームで、声をかけられた場所は走り屋には有名な「ホテルコーナー」だったと知るわけですが、当時は携帯もインターネットもないので、知る由もありません。

当時は走り屋と暴走族との違いも知らないほどで、このチームがとてもきちんとしたチームだったがために、今につながっています。

ものすごく幸運だったと思います。

走り屋というのは、簡単に言ってしまうといかに速く・格好良く走ることができるかを楽しむ人たちです。コーナーを、バイクを傾けてひざを擦りながら走り抜けていく技術を競います。
本格的になってくるとサーキットを走ります(←私もコレ)。最近はいるんでしょうか・・・

結果的に、モータースポーツとしてサーキットを走るようになったことで、どこまでが危なくてどこまでが安全、ということをしっかり身に着けました。

一言でいえば、公道(サーキットじゃない一般道)はあまりに危険ということです。

そのため、サーキット以外では、いきがってスピードを出すということを一切しなくなりました。

サーキットではそこそこ速かったということもあり無駄に公道でスピードを出して自己満足に浸るという必要性もなくなった、ということ、
ちょっとした路面の変化によって(濡れているとか欠けているとか)制御がきかなくなることもあるということ
を知ったことが大きいと思います。

このご縁で、車においても実はNISMOのドライバーでF3でヨーロッパを回るほどの優秀な方と巡り合い、技術からテクニックから学ばせていただきました。
良いご縁とはつながっていくものです。

お子さんがバイクに乗りたいという場合、本当に安全に乗ってほしいなら、サーキット走行の経験をされることを私はおすすめます。
もちろん、サーキットだから100%安全ということもありません。ですがこれを経験せず公道を走ることは、大変怖いなと思っています。


 (ミニバイクでサーキットを走っていた頃の私の写真です)

夜の外出・水商売などについて

私自身の経験でいえば、大学を中退してから、一時期、夜の世界でアルバイトをしていたことがありました。
スナックのホステスです。(どうでもいいかもしれませんが、めぐみちゃんという源氏名です)

ご説明しますと、来たお客さんの席についてお酒を注いであげたり一緒にカラオケを歌ってあげたりするだけのお仕事で、風俗ではありません。

家庭教師をしていたということもあったと思うのですが、安い時給のところでは次第に働く気を無くしてしまったのと、もともとが夜型だったから、という単純な理由です。
夜の仕事の中では、比較的安全だと当時は思っていました。

ここで働いていた女の子というのは、上京してきて一人暮らしをしているOLさん、フィリピンなどから出稼ぎに来ている人、家出をして彼氏の家に置いてもらっている子など、様々でした。

ちなみにお客さんも様々です。
普通のサラリーマンから、大手有名企業の経営者や幹部の方、ヤクザの幹部、余命いくばくもない人、僧侶、議員・・・。

働いている人も、お客さんもみんな「一見、いい人」です。
むしろついつい心を開いてしまいたくなるような雰囲気を持っています。

自分もそうでしたが、やはり夜の世界に集まる人というのは何らかの事情を抱えていることが圧倒的に多いのです。

そのため、特に孤独感を抱えていたり、気持ちを共有してもらえる場所がない人にとっては、居心地が良いのですね。
次第に昼間の世界がまぶしすぎるようになり、夜独特の空気感になじんでいってしまいます

ですが、それでも、店の外で刺した・刺されたなんていう事件も起こりましたし、しつこくストーカー行為を繰り返すひとに、しまいには家に上がり込まれていたというような本当に危ない思いもしました。

同僚の、家出をした女の子を車に乗せて送ったら、シンナーでらりっている彼氏とその仲間に車を囲まれて怖かった、なんていうこともありました。

来るたびに10万円ものおこづかいを渡してくれた自称高僧(ご相談料として数百万を1日に荒稼ぎしていた…)に食事に呼ばれ、弟子の方に案内された先には部屋(布団を敷いてある)を用意されていた、ということもあります。

お店を通じた関係だけでなく、深夜出歩くこと自体にも危険が伴います。

たとえば車を運転中、信号で停止していたら、後ろのトラックの運転手が降りてきて、何か聞きに来たのかと思いウィンドウを開けたら殴られた、なんていうこともあります。
(何かが気に入らなかったらしい・・・)

深夜に車で帰宅する途中、暴走族の集団に前後挟まれたこともあります(何もなかったですが:逃げたりせず一緒のペースでただ走ったことが良かったのか?)。

夜ではなくても起こることとは思いますが、リスクの度合い、という意味では、関わらないで済むなら夜の世界は避けた方が無難であることは間違いありません。

人間関係について

上記のような経験の中で、実は一番これが怖いなと思ったことがあります。それは

「暴力をふるったり、相手を支配下において正常な判断を無くしてしまう」
ような人、というのは
「一見、とてもいい人」

だったりするということです。
君子危うきに近寄らず、が通用しないのです。

私も、結婚前にお付き合いしていた人がそういう人でした。
上司として誰からも尊敬されていた方だったのです。

この経験談は、書ききれませんので、もう少し掘り下げて別途ご紹介できたらと思っています。

共通していえること

私がなぜ上記のような世界や人に引っ張られて行ったかということですが、非常に自分でもはっきりしていることは
「居場所がなかった」
ことです。家においても、社会においても。

私の場合は、両親の不仲と、育ての母による虐待という家庭環境により、とにかく早く家を出たい一心でお金を溜めようとしました。
実際20歳で大学を中退し、家を出るわけですが。

職人に育てられた環境というのが、進学校においては共有してもらえる人がおらず、社会に出ても、能力はあるが女性ということで中途半端なポジションという、どこへいっても居心地が悪かったのです。

基本的には非常にまじめで優等生タイプだった私ですが(高校生まで、ガムやコーラを飲食するのは不良だという祖母のいいつけを厳格に守っていたほど)、それでもふら~っとそうした世界へ寄って行ってしまったのですね。

子どもには子どもなりの人間性と、考え方と、気持ちと、歩み方のスピードがあります。

何より、選択できない家庭環境に無条件で置かれているので、家庭環境の影響、というのは甚大なのです。

家庭において今すぐできる改善は?

何より子どもにとって苦しいのは次の2点です;

1.耳を貸してくれない・親の価値観だけを一方的に押し付けられる
2.夫婦仲が悪い、もしくはどちらかの機嫌が安定しない

それぞれの事情はあると思いますし、なんでもいいよと甘やかすことと、丁寧に気持ちを聞き寄り添ってあげることとは全く違います。

親としての気持ちでいえば、私自身もこうした経験から、良い夫と巡り合い、一生離婚などしたくないと頑なに思っていました。

ですが、逆にそうした思いが強かったからこそこじらせてしまったことも含め、夫婦仲が良く、子どもにとって居心地の良い環境であることが、こうした不安を取り除く絶対的な土台になることは、自身の経験からも、ご相談下さった方々のご状況を見ていても強く思います。

ここ一番の分岐点をどう判断するか

救われる方向へ行くのか・どんどん危ない状況へ引きずられて行くかのちょっとした違い。
今回お伝えしたいことの最大ポイントはこれです。


「自分の人生をあきらめているか・そうでないか」

要するに自己肯定感。自分への信頼とプライドです。そして

「これだけは負けない」

といえる何かがあるかどうか、も関連して大切になってきます。

これはヤバイな・・・という状況に出くわした時、瞬時に、相手との力関係をお互いに推し量り、本能的に間合いを取ります。

自分に対する信頼があると、不要に攻めようという気持ちも、逃げようという気持ちも働かず、極限においてニュートラルな状態になります。

実はこの状態というのが、相手がスーッと離れていく確率が最も高い気がしています。

下手に構えれば逆上し、下手に逃げれば追いかけようとする。
ニュートラルでない状態、というのは、相手に何かのスイッチを入れてしまうリスクが、ニュートラルよりも高いような気がします。

また、極限の状況下で、自己肯定感が低いと、どうしてそれを選ぶかな?というような判断をしてしまいがちです。
より危険な方を無意識に選んでしまう、飛び込んでしまう。

日常生活というのは、AとBどちらを選ぶか、の積み重ねのような気がします。

常に良かったと思えるほうを選ぶ条件として、今の自分と、未来の自分を、絶対的に信頼している、ということはとても大きい要因のように強く実感しています

いかに子どもにこうした気持ちを持ってもらえるようにするか、ということが大きい鍵となると思います。

本気でやり直す勇気が必要

新しい元号も決まりましたね。

ここでリセットして、新たな調和を作っていけると良いなと思っています。

もし、あんな環境であっても、私は母に一言、悪かったね、あなたの気持ちを考えてあげられなくてと言ってもらえていたら、随分違っていたことと思います。

もう手遅れということは決してありません

もう無理、と思わず、何とかしたいと思うなら、まずは居場所を作ってあげられていなかったこれまでのことについて、お子さんに「一人の人間対人間として」真摯に謝罪をし、気持ちを聞いてあげることからスタートしてみることをおすすめします。