子供の能力=親の能力としか思えないような集団にいるから苦しい

育児で悩んでいらっしゃる方の多くは、お子さんの学歴とか、進学する高校・大学について

「こうじゃなきゃだめ」「こうしてはだめ」

というような親の(父親や祖父母も含む)意識、あるいは無意識の圧力が大きいように思います。


本来、育児の目指すところは、ただ一つ。

「親の手から離れて、まっとうな方法で(人をだましたりせずに)自分の力で生活できること」

なのですね、本当は。

子供は、親のプライドやエゴを満足させる道具ではないし、自分の身代わりでもない。

全く別人格の人間なのです。

でも、意外とここを切り離せない方が苦しんでいらっしゃるように見受けられます。

・親戚の中で、うちの子だけ成績が悪い
・同級生の中で、うちの子だけ学歴が低い
・近所のお友達の中で、うちの子だけ運動能力が低い

などなど。

それを「恥ずかしい」と思ってしまう。


逆にいうと、

子供の能力=親の能力としか思えないような集団にいるから苦しい

のですね。

本当の意味での立派な人・優秀な人というのは、そこを切り離して考えられます。


人としての崇高さ、立派さ、レベルの高さは、決して、学歴でもなければお金でもない。

自分の与えられた人生や能力に、誠意を持って向き合えているかどうか

ただこれだけなのですね。
逆にいえばまた、これができていない親に対して、子供はもちろんいうことなどききません。

頭がいいとか、お金をたくさん稼いでいるとか、見た目がいいとか、どこの大学・企業出身、とかじゃないんですね。
この姿を、ちゃんと子供はみています。


私はわけあって、医者だった産みの親に捨てられ、職人の家にもらわれて育ちましたが、そんなことを知らずにある程度まで大人になりましたけれども、
ただひたすらに毎日、朝起きて、神棚と仏壇に手を合わせ、一心に”ものつくり”に励む育ての父の姿を、心から尊敬していました。

そういう経験があったから学歴へのこだわりがないという部分もあります。
また実際、大学に行ってみたところ頭はいいけどちょっと…という人が結構な割合でいて、こういう人たちが教師になったり国会議員になったり、大企業のトップになったりするのは問題だなと思った経験もありました。

勉強ができるということは人の価値を決める最初の尺度にはならないということです。

ブロックを外すと、今の悩みは様々な意味で、相当楽になると思いますし、
同時に、意識・無意識で子供にかける親の圧力が、いかに子供の才能をつぶしてしまっていたかということについても見えてくるものがあると思います。

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